十紀夫語録

打田十紀夫オフィシャル・ブログ

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亡き甥に捧ぐ〜ユウ君のよちよち歩き〜

人は生きていく中で、親しい人たちとの永久の別れに幾度となく直面します。人の命が永遠でない以上、悲しいけどこれは仕方のないことでしょう。でも、先立つ者が自分より若い場合、それはとても辛いものです。つい先日、甥のユウ君が亡くなってつくづくそんなことを実感しています。

彼はまだ33才でした。子供の頃から喘息持ちだった彼は、ある意味“喘息慣れ”していたのでしょう。その日も「なんか少し調子悪いなあ」というくらいの気持ちだったのかも知れません。自ら車を運転して病院へ向かいました。でも、病院へたどり着いたのに、そこで限界が来たのでしょう。心肺停止となってしまったのです。心臓マッサージにより一度は蘇生したものの、意識は戻らないまま2週間生死をさまよったあと、帰らぬ人となったのでした。温厚で優しい大らかな人間性で誰からも慕われた彼のお通夜、葬儀には、本当に多くの方々が駆け付け、みんなが彼の死を惜しみ悲しみました。まだまだこれからやりたいこともたくさんあったに違いありません。本人が一番無念だったでしょう。

彼が生まれたとき、私はちょうど二十歳。せっかく入った大学に意義を感じなくなった当時の私は、ギターに出会い、自分の新しい道を模索している頃でした。希望と共に不安も抱えた不安定なそんな時期に、時おり会う幼いユウ君の笑顔は、いつも私に癒しを与えてくれました。どんな人をも引き込んでしまうような無邪気な彼の笑顔は、彼が立派な社会人になってからも変わることはありませんでした。最後に会ったのは、昨年11月の倉敷ライヴに来てくれたときでしたが、そのときも昔のままのあの笑顔で迎えてくれました。

ギターという新しい道で歩もうとしていた二十歳頃の私は、人生という長い道のりに一歩踏み出した彼に自分を重ね合わせていたのでしょうか、彼に捧げた曲を偶然にも作っていたことを思い出しました。そのことを私の姉、すなわち彼の母に伝えたところ、「ユウ君を送り出すときに是非ともその曲を流したい」と頼まれました。「30年以上も前に作った曲なので、はっきり覚えていないなあ」と思いながら、その頃のぼろぼろになった楽譜ノートを探して引っ張り出してみました。さすがにギターを始めた頃に作った曲ですので、完成度としては拙いものでしたが、“あの頃”の記憶が一気に戻り、不思議と新鮮な気持ちでその曲を受け入れることができました。私は、急いでその曲を録音し、CDにしてそれを持って葬儀に駆け付けたのでした。

「ユウ君のよちよち歩き」とタイトルを付けた、誰にも聴かせたことのないその曲…ユウ君本人にこんな形で聴いてもらうことになったのは非常に残念だけど、ユウ君にとっては天国で、また新しい世界が“よちよち歩き”から始まるんだよね、と思いました。

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