Archive for 5月, 2010
TABサムピック物語
<第2回> 〜理想のサムピック〜
(…<第1回>より続き)新上の曽我部さんの情熱で、“理想のサムピック”開発にむけてのプロジェクトがついに発進! 2003年半ば頃のことでした。「私が納得してライヴやレコーディングで愛用できるものを作りましょう」と言ってもらった以上、私も半端な気持ちじゃ臨めません。理想のサムピックの条件として、私が曽我部さんに提唱したのは、次の(1)〜(3)でした。
(1) 演奏中にずれにくい。
サムピックがずれそうになると、演奏に集中できなくなります。<第1回>でも触れましたが、私は昔からサムピックの裏にゴムを貼るなどして、滑り防止にかなり気を使ってきました。
(2) 弦に対して適度のしなりがある。
この“しなり”によって、サムピックでピッキングした音色にブライト感が出て、抜けのいい音になります。しなりのないサムピックは、弦に対する当たりが強くなり過ぎて、必要以上に強調された異質の音色になってしまいます。
(3) 弦に当たる部分は、常に滑りがよく滑らか。
弾いているうちに削れてきて、弦に当たる部分がザラザラしてくるようなサムピックは、ピッキング時に余計な引っかかりを感じて弾き心地もよくないし、難易度の高い曲を弾く際にミスをする要因となります。
曽我部さんも、ご自分がサムピックを使ってきた経験から、次の条件を望んでおられました。
(4) 指が痛くならない。
うん、確かにそれも必要ですね。サムピックをはめているときのフィット感が心地よければ、演奏にも気持ちが入りますからね。ただ、私が望んだ(1)を満たすためには、ガチッと強くサムピックをはめる必要があり、そうすると当然指が痛くなって(4)を満たせなくなります。それに、ガチッと指にはめたサムピックでは、(2)の弦に対するしなりを望むのも難しくなります。相反する要望を同時に満たさなければならない…、理想のサムピック開発はやはり大変な作業になってきました。
でも、アイディアマンの曽我部さんは、これらの要求をすべてクリアすべく、いろんなタイプの試作品を製作。きっとかなりお金と手間が掛かったと思います。私もこのプロジェクトが発進した以上は妥協したくなかったので、容赦なく「これじゃあ全然ダメですねえ。もっとこうなりませんか?」「ここのアイディアはいいけど、このくらいのレベルだと他にもっといいものがありますよ」などと何度もダメ出しをしたものです。サムピックに掛ける熱い青春…というには私も曽我部さんもオジサンですが、納得の行くサムピックを開発しようという情熱が、ふたりをがむしゃらに走らせたのでした。
次回はいよいよ、完成に至るまでのプロトタイプを、写真入りでいくつかご紹介しましょう。本邦初公開です! どうぞお楽しみに!(…<第3回>へ続く)
TABサムピック物語
<第1回> 〜私のサムピック列伝〜
2004年の4月に発売になって以来、多くの方々に愛用していただいている“TABスペシャル”サムピック。皆さん、ご愛顧どうもありがとう〜。もちろん、私にとっても欠かせない道具のひとつですよ。でも私がこのサムピックに辿り着くまでには、ホント色んなものを試してきた長い歴史があるんです。数ある私のDVDでも、その時その時のマイブームのサムピックを付けているはずですよ。そこで、私の愛用サムピックの歴史とTABサムピック完成に至るまでの道のりやウラ話を4回にわたって、皆さんに打ち明けちゃいましょう。
私のサムピック列伝は、古くはドブロ社の透明サムピックに始まります。右写真の透明なサムピックがそれです。やや黄色く見えますが、これは20数年以上保管しているうちに黄ばんでしまったんです(笑)。ギターを始めた当時(1970年代後半)は、ステファン・グロスマンをはじめ、デイヴィッド・ブロムバーグ、ジョン・フェイら当時の有名フィンガーピッカーが、このサムピックを使っていて、ある種、定番のサムピックになっていたんですよ。製造中止になるという情報が入ったときは、いろんなお店を回って必死に買い溜めしましたっけ。でも、私と同じように探し回った方も多くいたようで、思ったほど確保できませんでしたが…。
その後、色々試して行くわけですが、次に出会ったのがアーニーボール社のサムピック。左の写真の白いサムピックがそれです。爪で弾く指側の音とサウンド的にバランスが良い!という結論に達して、何年かの間はずっとそれを愛用していました。ところが、あるとき急にメーカーがこのピックの材質を変えてしまったみたいで、どうもしっくりこなくなってきました。そんな時、登場して来たのが、フレッド・ケリー社の“スリックピック”というサムピックです。弦を弾くときの滑らかな感じが気に入って、今度はこれにハマッてしまいました。2000〜2001年頃、全国の島村楽器さん各店舗を回って開催した私のギター・セミナーで、当時の代理店だったモリダイラ楽器さんがサンプル(オレンジ色のミディアム・タイプ)を配っていたのを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。右の写真がそのスリックピック。
ただ、いずれのサムピックも、買ってそのまま使うのではなく、削って形や厚さを変えたり、滑り止めのためにゴムを内側に張るなど、より使い勝手がよくなる工夫をしたものです。上の写真でも、アーニーボールとフレッド・ケリー“スリックピック”の裏側に貼り付けた、滑り止めのための黒いゴムが少し見えるのが分かりますか?(私のHPの“Q&Aコーナー”のページでも、このアイディアを紹介してます。→こちら)
そんなある日(2003年半ば頃)、(株)新上というプラスチック加工会社をやられているTAB生徒の曽我部さんから、本業とは全く関係ないのに(笑)「理想的なサムピックを作りませんか?」と、熱い相談を持ちかけられたのでした。「それは面白い!」と全面協力することになり、苦あり楽ありの開発プロジェクトがスタートしたのです。(…<第2回>へ続く)
ラッシャー木村さん、好きでした。。。
先日、“金網デスマッチの鬼”で知られたプロレスラー、ラッシャー木村さんが亡くなりました。腎不全による誤嚥性肺炎のためとのことです。68歳でした。何年か前に脳梗塞で倒れたことは聞いていたのですが、このところ情報が伝わってなかったので、気になっていました。残念です。。。心よりご冥福をお祈りします。
木村さんは、世間一般には、“金網”より“マイク・パフォーマンス”の方で知られているかも知れませんね。晩年のジャイアント馬場さんと「ファミリー軍団」を結成し、永源遙や渕正信らとユーモラスな試合をして人気者になりましたからね。馬場さんもそうですが、木村さんも全盛期のときに体を張ってそれはハードな試合をしてきた選手ですから、晩年の「初っ切り」的な試合も私は受け入れて楽しく見ていました。体力的に衰えたなら衰えたなりの自分の存在感の表現は、まさにプロフェッショナルでした。
もちろん、国際プロレス所属時代の、もの凄く強かったラッシャー木村選手も、私は決して忘れませんよ! 国際プロレスの代表として、全日本プロレス「オープン選手権」(1975年開催)に参戦したときの馬場さんとの公式戦では、アブドーラ・ザ・ブッチャーが乱入する大波乱となり木村選手が大流血! 最後は馬場さんの河津落としでフォール負けを喫しましたが、スリリングでエキサイティングな名勝負のひとつとして、私の脳裏にはっきりと残っています。
それにしても、今年に入って、ジャック・ブリスコ、バロン・シクルナ、ジン・キニスキー、ミスター・ヒト(安達勝治)、そしてラッシャー木村さん…と、かつての名レスラー達が次々と亡くなっていって、なんか寂しいなあ。酒でも飲みに行って、彼らの思い出に浸ろう。。。
鬼才、ダック・ベイカー6月来日!
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いよいよ来月6月は、ダック・ベイカーの来日です! 海外の凄腕ギタリストを招聘するというTAB主催コンサート・ツアーですが、ダックはなんと記念すべき第1回目(1998年4月)のギタリストだったんですよ。そして今回が、実に7回目の来日ですから、私のダックに対する敬愛の念がどれほどのものか分かってもらえると思います。音楽評論家のピーター・バラカン氏も惚れた、ダック・ベイカー。ここで、今一度その魅力を紹介しましょう!
私がダックを知ったのは、20代の前半の若い頃(1978~79年頃)でした。当時、ステファン・グロスマンがプロデュースしていたキッキング・ミュール・レコードの看板ギタリストとして、すでに数枚アルバムをリリースしていましたが、聴くたびに「なんでそんな風に弾けるの?!」って唸っていました。カントリー・ブルースマン達のプレイと同様、ステファンをはじめとするキッキング・ミュール・アーティストをコピーしまくってギターを学んでいたその当時、ダックのフィンガーピッキング・アプローチは私の中でかなり大きな興味の対象でした。
フィンガースタイル・ジャズのオーソリティであるダックですが、彼の場合、ジャズを単に素材として扱う“ポピュラー・ギター”ではなく、インプロヴィゼーションを必ずフィーチャーしているのが特徴。それも、コード・ソロや単音弾きが主体の一般的なジャズ・ギターとは異なり、ベース・ラインも同時に弾きながらのフィンガーピッキングでのアプローチです。ダックが、スウィングの名曲「Sweet Georgia Brown」を弾いている動画を張っておきます(↓)。アドリヴは、毎回違うので、とにかくライヴでの臨場感は格別ですよ。
ジャズと並んで、ダックの重要なレパートリーのひとつが、ケルティック・ミュージック。アイルランド、イングランドなどに伝わる伝承音楽で、今日では世界的にかなりポピュラーになったジャンル。もともとは、フィドル、アイリッシュ・ハープ、バグ・パイプなどで、決してギター・ミュージックではなかったのですが、ダックはいち早くアコースティック・ギター1本での表現に着手し、膨大なアレンジと録音を残しています。ターロウ・オキャロランの名曲「Sheebeg and Sheemore」をダックが弾く動画がこれ(↓)。ハープのサウンド効果を出すクロマチック奏法やカウンターポイント・ラインなど、大きな手をストレッチしてのプレイは、まさにダックの真骨頂です。
これらの動画ではナイロン弦ギターを弾いていますが、ライヴではもちろんスティール弦のアコースティック・ギターも弾きますよ。是非、生でその素晴らしいプレイに接してください!(ツアーの詳細→こちら)
打田十紀夫HPのURLが変わりました
毎度で〜す。業務連絡です。この度、私の個人ホームページのサーバーを引っ越すと同時に、URLを下記のように変更いたしました。しばらくの間、旧URLにもアクセス可能ですが、今後は新しいアドレスの方へレッツゴーしてください! ブックマークなどの変更もよろしくお願いします。
<これまでのURL>
http://www.tab-guitar-school.jp/
<新しいURL>
http://www.tokiouchida.com/
このところ(といっても、昨日と一昨日だけですが)、新しいサーバーの設定やら、データの移し替えなどやっちょりましたが、これまでの私のサイトやTABギタースクールのサイトのいろんなページに、前のURLでのリンクを張っていたので、それを変更するのに手間が掛かりました。
別に今まででも不自由はなかったのですが、“安くなる”というウチの息子のススメもあって、サーバー移行に着手することに。おかげで、飲みに行く時間がなくなって、体調が悪いです(普通は反対か?)。なお、TABギタースクールのサイト(→ここ)のアドレスは、従来の通りです。それでは、今後ともこれまで通り、どうかお付き合いよろしくお願いします!
スタンブリング・ベース
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私がギターを始めたのは、19才の時でした。大学に入った春、すぐに5月病になった私は、“流し”になろう!とギターを始めたのでした(笑)。飲み屋街などでギターを抱えてお店を回り「お客さん、一曲いかがですか?!」と歌を披露するあの“流し”です。今はもう見かけなくなりましたねえ。おっと、私が演歌歌手志望だったことは封印した過去でした(笑)。ま、そんな中、なにげに買ったギターの本に載っていたステファン・グロスマンの影響で、いつのまにかフィンガーピッキング、カントリー・ブルースの世界にどっぷりになった訳です。当時(1970年代後半)はビデオもなく、LPなどは海外のレコード会社から取り寄せたりし、来る日も来る日もレコードから耳でコピーしてました。懐かしいなあ。
そんな中で私がハマったギタリストのひとりが、1920〜30年代に活躍したブルースマン、ブラインド・ブレイクでした。彼のラグタイム・ブルースのグルーヴ感たるや半端じゃなく、何度聴いても惚れ惚れします。そのサウンドの秘密のひとつが、“バドン・バドン”と小気味よく決める彼の“スタンブリン グ・ベース”。二十代前半の多感な時期に、四畳半のアパートに籠もって、来る日も来る日もブレイクのサウンドに近づけるように、練習に明け暮れたもんです(う、けっこう暗い青春かも…)。
先日(5/8)島村楽器奈良店で開催されたスタジオ内「ライヴ&トーク」の開演前に、いつも応援してくれている大阪の nogunoguしんちゃんのリクエストで、そのスタンブリング・ベースをゆっくり披露した映像をYouTubeに上げました(↓)。彼はいま頑張って練習しているとのことですが、ちょっとは参考になったでしょうか。
「スタンブリング・ベース」というネーミングは、私の師匠のステファ ン・グロスマンが付けたものです。親指が隣の弦につまずくような感じから、名付けたのでしょう(Stumble=つまずく)。ステファンの弟子である私は、そのネーミングを昔からギター雑誌や教則本で使ってきましたから、国内では結構その名前が定着したと思います。ちなみに、ウッディ・マンは「ドラッギング・ベース」(drag=引きずる)、ボブ・ブロズマンは「ダブル・ベース」と呼んでいます。なるほど、それぞれ説得力のあるネーミングですね。ブラインド・ブレイク本人は、決して名前など付けていなかったでしょうし、体から湧き出るがごとく自然と身に付けたテクニックだったに違いありません。
サイカラーメン大(生玉子入り)
島村楽器さんの奈良店(5/8)と名古屋パルコ店(5/9)で開催された“ライヴ&トーク”にご来場の皆さま、どうもありがとうございました。ゴールデン・ウィーク明けでお疲れのところは多くの方に参加していただき、感謝しています。皆さんのギターに対する熱意に、私も刺激を受けましたよ(右の写真は奈良店での様子)。
さて、「打田十紀夫ホームページ」のトップページにも書きましたが、『十紀夫語録』のページが新しくなりました(このページ)。今流行のブログ形式です。今年の1月分より掲載してあります。まあブログになったからといって、書く内容が今までとそう変わるわけではないのですが、見栄えがちょっとばかり“今風”になりますかね。まだ完全には把握できてませんが、いろんな機能が付いているみたいです。古い人間なんでなかなか新しいことに対応できない私ですが、なんとか頑張ってみます。コメントなどの書き込みもできますよ(承認方式ですので、表示にちょっと時間差が出ます)。なお、mixiのほうも基本的に同じ日記ですが、そちらはそのまま継続するか、こっちのブログに統一するか検討中です。今のホームページのサーバーも引っ越し予定ですが、それはしばらく時間かかりそう。
このブログでは、写真をクリックすると、ふわっと浮き出るように大きく見えるんです(これも普通ですかね?)。というわけで、さっそく写真をアップしてみます。先日の島村楽器奈良店ライヴの後、nogu2しんちゃんが連れて行ってくれた天理ラーメンの老舗“彩華ラーメン”での写真です。クリックして大きい写真でも見てくださいね。
注文したのは、サイカラーメン大(生玉子入り)。左の写真は、「さあ、食べるぞ!」の瞬間。右の写真は、黙々と食べ続ける姿。写真を大きくしてもらうとお分かりのように、玉子の黄身は、スープに混ぜないでオタマの上で潰し、つけ麺風に食べるのが打田流。食べているときの動画もnogu2しんちゃんが撮ってくれていたようで、確認しましたところ、欠食児童のようにガツガツ食べていました。恥ずかしいので、これはアップしません。なにはともあれ、お腹いっぱい、大満足でした!
ユニクロより発売! G.馬場さんTシャツ
ユニクロから私の永遠のアイドル、ジャイアント馬場さんの新しいTシャツが発売になりました。nogu2しんちゃん、高原さん、きんぎょさん…いろんな筋から発売情報の連絡をいただき、ありがとうございました。早速、入手しました! 白と黒の2種類のバージョンが発売になっているのですが、もちろん2種類ともゲットンですよ~。 でもって、早速、私のホームページのトップページの写真にも使いました。この写真です、さあ、もう一度ご覧ください(→こちら)。馬場さんに成り切っています(これは、リングに向かうときの表情ですよ)。カッコイイでしょ!
白Tシャツに書かれているこのイラストは、やや痩せ気味の馬場さんですので、きっと晩年の馬場さんを元に書いたんだと思います(ちなみに黒バージョンは、文字のみ)。1960年代半ばから70年代にかけての、はち切れんばかりの肉体を誇った、全盛期の馬場さんバージョンも出ないかなあ。。。
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