十紀夫語録

打田十紀夫オフィシャル・ブログ

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Archive for the ‘プロレス関係’ Category

夫婦揃ってミーハー写真!

今回は、2枚のミーハー写真をご紹介します。

まず1枚目(右写真)は、TAB女将のミーハー写真。写真の右端がトニー・マクマナス、真ん中がPRSギター代表のポール・リード・スミス氏。来月TAB20周年ライヴVol.3で来日予定のトニー・マクマナスが、PRSギターのイベントのために先日急きょ来日したときの1枚です。これがまた、かなりの強行スケジュールで、3/4の夜に日本に着いて、翌3/5に渋谷でイベントに参加し30分演奏して、自分の出番終了と同時に成田に向かうというものでした。その日私は以前から予定が入っていたため、顔を出すことができませんでしたが、その代わりにウチのおハルが行ってきました。メジャーどころのロック・ギタリストがメインで出演する中、アコースティック・ギター1本で圧巻のプレイを披露し、聴衆を魅了したそうです。この写真は、出番前に控室に挨拶に行ったときに撮ってもらった1枚です。

2枚目(左写真)のミーハー写真は、私の1枚。現アジア・タッグ王者との記念ショットです。向かって左にいるのが、真田聖也選手、右が征矢学選手。3/6の後楽園ホールでの全日本プロレスの試合会場で撮った1枚です。アジア・タッグ選手権は、初代王者にキング・コング、タイガー・ジョキンダー組が認定されたのが1955年、3代目が力道山&豊登組という、日本でもっとも歴史の長いタイトルですが、現チャンピオンは若くて元気いっぱいの二人です(真田選手:23才、征矢選手:26才)。真田選手は1月の渕正信選手の誕生会でお会いしたのを覚えていてくれて、うれしかったです。まだまだ上を目指して、頑張ってもらいたいです!

とまあ、夫婦揃ってミーハーな写真を撮って悦にいっているのでした。。。(笑)

久々のプロレス観戦

今年も、あっという間にもう2月半ばに差し掛かろうとしています。もうちょっとゆっくり進んで欲しいよなあ、時間ちゃんよ! 何かと慌ただしい毎日を送っていると、時の経つのも早く感じるのですかね。。。そんな中、先日、久しぶりにプロレス観戦に行ってきました。会場は、水道橋の後楽園ホール。渕正信選手から直接購入した特別席で、目一杯声援を飛ばして楽しんできましたよ。

下の写真は、我らが渕正信選手のハイアングル・ボディスラム。もうベテランの域の渕さんですが、シンプルな技でも十分にお客さんを楽しませてくれます。私の永遠のアイドル、ジャイアント馬場さんの弟子として、馬場さんを語れる貴重なレスラーでもあります。まだまだ長く現役を続けてくださいね!
さすが、“王道”全日本プロレス。若い選手の試合からメインまで、どの試合もかなりハードでスリリング! 下の写真のように、私も思わず力が入ります
観戦を終わって帰る頃には、下の写真のように、私もすっかり気合いを注入されていました。「よし、オレも頑張るぞ!」って感じでしょうか。ちなみに、私の左側にいるオジサンは、大学時代の同級生のえいいっつぁん。この軽い笑顔からすると、彼はどうも気合いを注入されなかったようですね(笑)
さて、今週末は、鈴鹿(2/11)・四日市(2/12)・岡崎(2/13)の島村楽器スタジオで“ライヴ&トーク”3連戦です。プロレス観戦で注入された気合いを保ったまま、各会場に参上しますよ。皆さんのお越しをお待ちしています!

小倉&博多へのショート・ツアー

先日は、島村楽器さんの小倉リバーウォーク店(1/29)と福岡イムズ店(1/30)で、ライヴ&トーク開催のため、ショートな九州遠征に行ってきました。

小倉店は、以前はラフォーレ小倉の中に入っていて、そちらには過去に何度か伺ったことがあるのですが、1年前に移転した現在のお店には今回が初めての訪問でした。小倉店が入っているリバーウォーク北九州は、中が吹き抜けになった今風のお洒落な作りの建物で、ナウい若者で賑わっており、そんな中へギター3本を抱え、機材のスーツケースを引きずって入っていく姿は、周りから見ると結構異様だったでしょう。まあ、場所がどこであろうとそんな格好は異様でしかないですけどね。。。(笑)

ご来場の皆さん、応援&熱い質問の数々、どうもありがとうございました! スタッフの皆さん、大変お世話になりました。そういえば、担当の北田さんが私がプロレス・ファンであることに気を利かせて、ステージ後ろのポップの両脇に、プロレス写真を貼って盛り上げてくれました。

ステージ全体写真がこれ(↓)。

ポップの横の写真を拡大すると(↓)。

あちゃー、これはアントニオ猪木じゃないですか! あの〜、私は、ジャイアント馬場信者なんです。。。まあ、プロレス冬の時代といわれる現在、馬場か猪木かで相変わらずわーわー言ってる私の方が珍しいのかも知れませんね(笑)。

翌日は、福岡イムズ店で開催。このお店も、何度もお世話になったお店です。今の店長の高保さんは、もう10年以上も前、彼が入社したての新人時代に、長野の松本店でのギター・クリニックを担当してもらったことがありました。時を経ての再会でしたが、今や店長さんとして立派に出世されて感慨無量でした。それに比べて、私は相変わらず同じようなことやってるなあ。。。まあいいか(笑)。

この日は、遠くから駆け付けてくださった方もいて、超満員で熱気ムンムンの中、私自身も楽しくライヴ&トークを務めさせてもらいました。皆さん、どうもありがとう! スタッフの皆さんもお世話になりました。せっかくカメラを持って行ったのに、この日は撮るのを忘れました。残念。。。

終了後、東京へ戻るスケジュールでしたので、片付けた後、空港へ。諫早から駆け付けてくれた山本さんが空港まで付き合ってくれて、空港内の博多ラーメン屋で打ち上げ。ビール、焼酎、餃子、焼豚ポン酢、黒とんこつラーメン、そしてもちろん替え玉…短いながらも、楽しく美味しい時間でした。山本さん付き合ってくれてありがとう!

飛行機で羽田に着いてからも、幡ヶ谷の事務所までは電車の乗り換え2回の長い道のりです。おまけに荷物がいっぱいの移動ですから、事務所に着いた頃にはすっかり酔いも覚めてました。そのままおとなしく寝るのもなんなんで、ライヴ&トークに参加してくれたミエちゃんから差し入れてもらったイカ明太をつまみに、ビールと焼酎で、二次会ともいうべき“ひとり打ち上げ”に突入。イカ明太は、ちょっとだけつまむつもりが、あまりに美味しかったので「もう一口、もう一口…」と、結局、全部食べてしまいました。。。う〜ん、よく考えたら、魚卵系とビールって痛風に一番よくないかも。。。まあいいか(笑)。

プロレス界へ本格参戦、間近?

全日本プロレスの重鎮、我らが渕正信選手の57才の誕生パーティーに参加してきました。とても盛況な誕生会で、渕さんも凄く嬉しそうでした。長くプロレス界に貢献してきた渕さん、やはり多くの人たちに愛されているんですねえ。お誕生日、おめでとうございます!

私は渕さんの若手の頃も知っているし、世界ジュニア・ヘビー級王者だった全盛期の頃(1980年代後半〜1990年代半ば)もよく応援していたのですが、直接お話ししたのは、昨年11月に新潟行きの新幹線でばったりお会いしたときが最初でした。それからたかだか2ヶ月で、誕生会にまで堂々と参加しているとは、我ながら図々しいなあ。。。そして、さらに図々しいことに参加されていたプロレスラーの皆さんと写真を撮りまくってきました

この日の主役の渕選手、そして船木選手とパチリ!

政界進出が期待される西村選手とパチリ!

日本人最重量レスラーの浜選手とパチリ!

明日の全日を担う若手有望株のKAI選手、真田選手とパチリ!

全日本プロレスの2/6後楽園ホール大会、観戦に行きますよ。みんな頑張ってね〜!

飲みまくりの一日。
神田、そして六本木では!

ミッシェルとのライヴの翌日(12/4)は、お酒にどっぷりの一日でした。といっても、ミッシェルと飲んだわけではないんです。ミッシェルはその日、奥さんと水入らずで東京でのオフを楽しんでもらって、その間に普段なかなか足を運べないでいるお店に行こうということになりました。ウチのおハルとTAB生徒の星クンを誘い、まずは神田へレッツ・ゴー。まず焼き鳥屋さんで軽く一杯やった後、向かった先は「BAR folksy note」。私のライヴにもよく来てくれている上田さんがやられている素敵なショット・バーです。居心地のいい空間ですっかり和ませてもらいました。貸し切りの予定が入っているところを無理矢理入れてもらって、マスター、どうもスミマセンでした。

下の写真は、「folksy note」のマスター所有のギターで遊んでいるところ。

その後、いきなり六本木へ向かうことに。実はこの日、六本木の「hitomi」というダイニングバーで、プロレスラーの渕正信選手が一日店長をされることになっていて、プロレス・マニアとして血が騒いでしまったのです(笑)。先月、新潟行きの新幹線で偶然同じ車両(しかも通路を隔てて同列!)に乗り合わせて声をかけさせてもらったことをこのブログでも書きました(→ここ)が、渕さんはそのときのことを覚えていてくれました。まあ、ギター3本と機材のスーツケースを一人で運んでいる姿は、どう見てもちょっと異常ですから、印象を残すことができたのでしょうが。。。(苦笑)

お店に着いたとき、渕さんは、カウンターに座って顔見知りのお客さんと一緒に飲んでいたんですが、なんと、私は渕さんの横に座ることができたのです。馬場さんの設立した全日本プロレスの入門第一号の選手であり、世界ジュニアヘビー級の最強王者として長く君臨した渕選手と一緒にお酒を飲めるなんて、なんて幸せなことでしょう。馬場さんや鶴田さんのことをはじめ、プロレスのお話しも色々してくれて、プロレス・マニアの私としては最高に楽しい時間を過ごしましたよ〜。カウンターにいらしたお客さんが私と同郷(四日市出身)だったり、渕さんと行ったもう一軒のお店の女性がTABのある幡ヶ谷にお住まいだったり、なんとまあ奇遇な夜でした。でも調子に乗って飲み過ぎて、翌日頭ガンガン…。まだまだ修行が足りませんなあ。。。

全日本プロレスの渕正信選手と飲んでいる証拠写真で〜す!

ダイニングバー「Hitomi」の名物「わらじ大のロースト・ビーフ」。美味しかった!

村上~長野ツアー思い出話(その2:長野編)

旅には色んなトラブルも付きもので、この日(11/2)は、新潟〜直江津間の「北越6号」が強風のため柏崎駅で足止めを食らい、村上から長野への移動になんと6時間以上もかかってしまいました。オフだったからよかったものの、ライヴの日だったら大慌てしたことでしょう。オフといっても、この日は実はスケジュールが入っていて、いつもライヴに来てくださる「ようさん」と「はやさん」に、とあるお店に連れて行ってもらうことになっていました。

まずそのひとつが、プロレス・ファンのマスターが経営されているレストラン「バックドロップ」。その昔、全盛期のジャイアント馬場選手がジン・キニスキーのバックドロップを食らって敗れた試合があったのですが、その時の衝撃を忘れられなくお店の名前にしたというから、それはそれは筋金入りのファンですね〜。プロレス関係者の方も来店されたり、その手のイベントも開催されているとのこと。昭和のプロレスと馬場さんに関しては譲れない私も、ホッピーを飲みながら熱く語らせてもらいました。

この日の楽しみはまだまだ続き、前から興味を持っていたお店へと向かいます。そのお店とは「麺屋じゃんご」。ラーメン通のはやさんから「ここは美味い!」と教えてもらっていたラーメン屋さんです。「油そば」をツマミにベアレン・ビールと芋焼酎水割りをいただき、シメは「太麺醤油ラーメン」、そして替え玉(細麺)を2回! いや〜完璧でした! ようさん、はやさん、2店にわたってお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

翌日(11/3)は、いつもお世話になっている美鈴楽器さん3Fの「コンサートホールみすず」でのライヴ。昨年は師匠ステファン・グロスマンさんとのコンビでのライヴでしたが、今回はソロ・ライヴです。会場のエレガントな雰囲気に負けじと、私もギターをずらり4本(Yokoyama、Morris、Sumi、National)並べて“ライヴ&トーク”パフォーマンスを展開しました。たくさんのご来場とご声援、本当にありがとうございました! 横山さんと鷲見さん…日本を代表するギター製作家のお二人もご来場くださいました。打ち上げは、美鈴楽器の池田社長にいつものお店に連れて行ってもらい、美味しい料理とビールで楽しい時間を過ごさせてもらいました。マネージャーの川又さんをはじめとするスタッフの皆さん、今回も大変お世話になりました!

11/4は、WonderToneの坂本さんの車で、東京まで乗せていってもらいました。いつもはギター4本と機材を人力で運んでいますので、と〜っても楽させてもらいました。坂本さん、ありがとう! ただ、ツアー中の派手な飲み食いで摂取したカロリーを、荷物運びの運動量で相殺している私ですから、注意しないとまたまた一回り大きくなってしまいます。間違っても、途中のSAでやったような「天ぷらうどん」を食べたあと、追加で「ラーメン」を注文するというようなことは、やってはいけなかったのでしょう…。でも、まあいいか、いつものことだし(笑)。

何はともあれ、村上〜長野と回ったこのショート・ツアー、音楽的にも・飲食的にも・プロレス的にも、三拍子揃って充実したツアーでした。みんなに感謝!

村上〜長野ツアー思い出話(その1:村上編)

新潟県の村上、長野と回ったショート・ツアー、無事終了しました。短い遠征でしたが、今回もいろんな意味でとても充実したツアーとなりました。

村上ライヴの日(11/1)は、東京駅から新潟行きの新幹線「Maxとき325号」に乗ったのですが、なんとその社内で、私の応援するプロレスラー渕正信選手を発見。しかも通路を隔てて同列に座っているではありませんか! 渕さんは、私の崇拝する故ジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスの初期に入門し、世界ジュニアヘビー級王者として長くタイトルを保持したこともある名選手です。現在もベテラン選手として活躍されていて、第一線を退いたとはいえ、鍛え上げられたその体はやはり目立ちます。今年も渕さんの試合を応援に行ったり、ブログにも書き込みしたりしたこともある私は、ドキドキしながら意を決して声をかけました。ギター数本と機材を一人で運んでいる私の姿を見て、「大変ですね〜」と気遣ってくれて、うれしかったです。渕さん、これからも応援しますよ〜!

新潟駅では、村上に向かう「いなほ7号」に乗り換えるところで、今度は私が「あ、十紀夫さん」と美女から声をかけられました。村上「楽屋」ライヴにいつもご夫婦で来てくれるテリーくんの奥さんでした。渕選手に声をかけるときもドキドキでしたが、美女に声をかけられてもドキドキでした。滅多にそんなことがないもんで。。。この日もご来場くださって、ありがとう!

「楽屋」でのライヴは、今回で4回目になりますが、いつも温かく迎えていただいて、本当に心地よくライヴをさせてもらっています。ライヴが終わってからの打ち上げでも楽しい時間を過ごすことができました。皆さん、本当にありがとうございました!

翌日(11/2)の昼には、前日の打ち上げで話題になっていた「ちくにラーメン」に、マスターに連れて行ってもらいました。地元の皆さんの評価が割れていたため、非常に興味深かったのですが、私は◎の評価です。独特の柔らかい麺がスープとよくマッチしていて、とても美味しかったです! 電車の時間が迫っているにもかかわらず、大盛りを注文し完食しましたよ〜。(その2へ続く)

ヘーシンクと山本小鉄。。。

このところ、また相次いでプロレス界の大物が亡くなりました。アントン・ヘーシンクと山本小鉄さん。自分がリアルタイムでその活躍を見てきた人たちが、ひとり、またひとりといなくなっていくのは本当にさみしいです。

ヘーシンクは、東京オリンピックで金メダルを獲得するなど、世界の柔道界で輝かしい実績を残した柔道家。その知名度に日本テレビが目を付けスカウトし、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに1973年に入団し、5年ほど日本でプロレスラーとして活躍しました。私自身、柔道をやってましたので、ヘーシンクにはかなり期待して注目して見てました。ところがこのヘーシンク、本当に強かったのですが、見せ方が下手で、試合にあまり緊迫感がなかったことを記憶しています。一流のレスラーはやられているときの悲壮感でも、観客を惹きつけるのです。強いだけでは、プロレスの試合は成り立ちません。

結局、プロレスに馴染めず、大きな実績を残せないままプロレス界からは引退しましたが、そんなヘーシンクの試合で今でも記憶に残っているのが、ゴリラ・モンスーン(故人)との“柔道ジャケットマッチ”(1974年)。試合はヘーシンクの勝ちでしたが、相手がWWWF(今のWWE)の大物で試合巧者のモンスーンだったことで、なんとか形になった印象でした。当時高校生だった私は「う〜ん、プロレスって難しいよな〜」と考えさせられました。ヘーシンクがもう少しプロレスに順応してくれていれば、馬場さんのその後の全日本プロレスの運営が楽だったかも知れませんね。。。ヘーシンクはプロレスを引退した後は、また柔道界に戻り、後進の指導や柔道の普及に尽力されたとのことです。

山本小鉄さんは、アントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスに参加して、テレビの解説を務めたり、“鬼軍曹”として選手の指導に当たるようになってから人気者になりましたが、私は彼の日本プロレス時代の試合ぶりもよく覚えています。星野勘太郎とのタッグ・チーム“ヤマハ・ブラザーズ”の小気味のいい試合は、前座戦線を大いに盛り上げたものでした。でも、私が山本氏の試合で一番印象に残っているのが、なんとこれもまたゴリラ・モンスーンとの試合(1969年)。日プロ第11回ワールド・リーグ戦の公式戦で、モンスーンのフライング・ボディ・プレスを自爆させ、誰もが予期せぬ大金星を挙げたのでした。

その試合のおかげで、ボボ・ブラジルと並んで優勝候補のひとりだったモンスーンが脱落。優勝戦線が混沌とし、最終的にアントニオ猪木の初優勝にもつながったのでした。“ジャイアント馬場4連覇ならず!”…そのときからすでに熱狂的な馬場さん信者だった私(当時小学5年)は、悔し涙を流したのでした(その翌年から馬場さんは、また3年連続優勝しましたけどね!)。とにかく、その第11回ワールド・リーグ戦で、プロレス界の“政治”的な部分などを色々学ぶことにもなったので、山本小鉄さんのモンスーン戦は忘れることはできません。ちなみに、この第11回ワールド・リーグ戦にまつわるウラ話、そして、その後の日本プロレスの分裂、全日本プロレスと新日本プロレスの興行戦争…これらのディープな話は、私のライヴの打ち上げで、酔っぱらった私からさんざん聞かされた方も多いかも(苦笑)。

アントン・ヘーシンクと山本小鉄さん…プロレス界に貢献されたこのお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ラッシャー木村さん、好きでした。。。

先日、“金網デスマッチの鬼”で知られたプロレスラー、ラッシャー木村さんが亡くなりました。腎不全による誤嚥性肺炎のためとのことです。68歳でした。何年か前に脳梗塞で倒れたことは聞いていたのですが、このところ情報が伝わってなかったので、気になっていました。残念です。。。心よりご冥福をお祈りします。

木村さんは、世間一般には、“金網”より“マイク・パフォーマンス”の方で知られているかも知れませんね。晩年のジャイアント馬場さんと「ファミリー軍団」を結成し、永源遙や渕正信らとユーモラスな試合をして人気者になりましたからね。馬場さんもそうですが、木村さんも全盛期のときに体を張ってそれはハードな試合をしてきた選手ですから、晩年の「初っ切り」的な試合も私は受け入れて楽しく見ていました。体力的に衰えたなら衰えたなりの自分の存在感の表現は、まさにプロフェッショナルでした。

もちろん、国際プロレス所属時代の、もの凄く強かったラッシャー木村選手も、私は決して忘れませんよ! 国際プロレスの代表として、全日本プロレス「オープン選手権」(1975年開催)に参戦したときの馬場さんとの公式戦では、アブドーラ・ザ・ブッチャーが乱入する大波乱となり木村選手が大流血! 最後は馬場さんの河津落としでフォール負けを喫しましたが、スリリングでエキサイティングな名勝負のひとつとして、私の脳裏にはっきりと残っています。

それにしても、今年に入って、ジャック・ブリスコ、バロン・シクルナ、ジン・キニスキー、ミスター・ヒト(安達勝治)、そしてラッシャー木村さん…と、かつての名レスラー達が次々と亡くなっていって、なんか寂しいなあ。酒でも飲みに行って、彼らの思い出に浸ろう。。。

ユニクロより発売! G.馬場さんTシャツ

ユニクロから私の永遠のアイドル、ジャイアント馬場さんの新しいTシャツが発売になりました。nogu2しんちゃん、高原さん、きんぎょさん…いろんな筋から発売情報の連絡をいただき、ありがとうございました。早速、入手しました! 白と黒の2種類のバージョンが発売になっているのですが、もちろん2種類ともゲットンですよ~。 でもって、早速、私のホームページのトップページの写真にも使いました。この写真です、さあ、もう一度ご覧ください(→こちら)。馬場さんに成り切っています(これは、リングに向かうときの表情ですよ)。カッコイイでしょ!

白Tシャツに書かれているこのイラストは、やや痩せ気味の馬場さんですので、きっと晩年の馬場さんを元に書いたんだと思います(ちなみに黒バージョンは、文字のみ)。1960年代半ばから70年代にかけての、はち切れんばかりの肉体を誇った、全盛期の馬場さんバージョンも出ないかなあ。。。

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