十紀夫語録

打田十紀夫オフィシャル・ブログ

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ジョンの思い出は永遠に。。。

ジョン・レンボーンがお亡くなりになりました。ペンタングルやジョン・レンボーン・グループでの活動をはじめ、ソロやバート・ヤンシュ、ステファン・グロスマンとのデュオなど、音楽史に大きな足跡を残している歴史的なギタリストです。彼は、ブリティッシュ・フォーク、ブルース、ジャズ、ケルティック音楽、中世ルネッサンス音楽…様々な音楽要素を取り入れ、芸術的ともいえる独自のスタイルを築き上げました。私がギターを始めた頃からのヒーローの一人で、どうしてあんな風に弾けるのかとレコードから一生懸命コピーしていた日々が思い出されます。今の自分のギター・プレイにも大きな影響を与えてくれた方でした。先日リットーミュージックから発売になった『あなたの知らないギター・インストの世界!』でも、私がセレクトした10曲において、1番2番はステファンとのデュオ「Snap A Little Owl」とソロの「The Hermit」でした。

私は、TAB.Ltdを設立してから、海外からのギタリストを招聘してのライヴ・ツアーを企画してきましたが、光栄なことにジョン・レンボーンを2度招聘することができました。2000年11月にダック・ベイカーと、2005年11月にはウッディ・マンとのコンビでの来日ツアーでした。会場はいつも超満員で、ソロでも、セッションでも、彼は素晴らしいプレイを披露してくれたことはいうまでもありません。ライヴで、名曲「Snap A Little Owl」を私がステファン役で一緒に弾いたり、そう、私がジャイアント馬場さんに捧げた「河津」も一緒に弾いてくれました。また、彼は素晴らしい音楽家であると同時に、常にジェントルマンな英国紳士でした。一緒に回転寿司に行ったり、下田の温泉にも行ったし、囲碁も打ったし…楽しかった思い出がいろいろ頭を巡ります。その後も「久しぶりにまた日本に来ませんか?」と何度か声をかけたのですが、「遠出するのがちょっとしんどくてね。こっち来たら寄っておくれ」と返事をもらっていました。ジョンには心から本当に感謝しています。どうか安らかにお休みください。

2000年11月の来日時より(↓)
2000-11-52000-11-7

2005年11月の来日時より(↓)
2005-12-04
2005-12-01

TABが主催したジョン・レンボーン来日ツアーの写真は、他にもTABホームページにアップしてあります。
2000年のツアー 2005年のツアー

6 Responses to “ジョンの思い出は永遠に。。。”

  1. 4月 2nd, 2015 at 9:52 PM

    katsuya yamazaki says:

    とても悲しいです。
    彼が初めて来日した時、確か1978年だったと思いますが、私は21歳で、わく
    わくしながら彼とステファンのライブを聴きにいきました。
    2000年と2005年は、仕事に忙殺され、来日するという情報すら知らず、結局
    生で聴くことかできたのは一度だけでした。そのことが悔やまれます。
    私は中学生の時にギターと出会い、57歳の今にいたるまで弾き続けていますが、
    その中心には絶えずジョンがいました。私にとっては、ジョンのプレイがひとつ
    の指針であり、目標でもありました。彼に少しでも近づきたくて、ギターを弾き
    続けてきた、そんな気がします。
    打田さんの挙げた2曲はもちろん、Buffalo、Waltz、Faro’s Ragゃ、ステファンとやっていたSpirit Levelsなんかが大好きです。時に荒々しく、時に
    繊細だった彼のプレイですが、私はどちらかというとちょっと古い、J-50を使っていた頃の泥臭い音が好きです。
    あー、もう彼のプレイを直接聴くことはできません。でも、私は彼のことを決して忘れません。さようなら、ジョン。たくさんの素敵な演奏をありがとう。
    RIP John. 心からご冥福をお祈り申し上げます。

  2. 4月 2nd, 2015 at 10:27 PM

    Tokio Uchida says:

    katsuya yamazakiさん、コメントありがとうございます。そうでしたか、yamazakiさんもずっとジョンの影響でギターを弾かれているのですね。どうか、これからもジョンの曲を弾き続けていってください!

    ジョンは本当に素敵な方でしたよ。亡くなったと聞いて、私もかなり落ち込んでいます。もう一度お会いしたかったです。。。

  3. 4月 12th, 2015 at 4:20 PM

    shirae says:

    昨日たまたまジョンの近況を見ようとネットで調べていて、死去のことを知りました。
    悲しいNewsでした。
    大学時代に初めてジョンのレコード「Sir John Alot of…」を聞き、その演奏に驚いたことを覚えています。それからずいぶんとレコードを買いあさりました。
    1978年5月にステファングロスマンと一緒に来日した際、軽井沢のバージニアグリーンで確か1泊2日のギタークリニックがあり参加しました。
    クリニック中、「My Dear Boyを弾いてみて!」とお願いしたところ、「忘れてしまった」と笑いながら触りの所を弾いてくれました。ジョンの手は少しごつい感じの手ですが、その手が軽やかに指盤上を舞っていました。
    クリニック中に2人のライブもあり、アルバムSnap a Little Owlからの曲を中心に演奏していました。今思い出しても、ジョンがたぶん最も脂が乗った時期の演奏で、とても素晴らしいライブでした。
    当時つたない英語で話しもしましたが(会話にはなっていませんでしたが)、ジョンのやさしく温和な人柄が伝わってきました。
    もう一度、ジョンがライブの度に演奏していたSweet Potateを聞いてみたいです。
    ご冥福をお祈りします。

  4. 4月 13th, 2015 at 2:22 AM

    打田十紀夫 says:

    shiraeさん、コメントありがとうございました。そうでしたか。素敵な思い出をお持ちですね。
    ジョンは本当に優しい方で、TABで2回招聘したときも、こちらからすると雲の上の方なのに、スタッフのみんなに気配りしてくれました。ツアーの打ち上げでは、当時私の行き付けだった「地鶏や」でご馳走してくれました。
    ジョンの音楽を聴くといろんなことが思い出されて、泣けてきます。本当にもう一度お会いしたかったです。

  5. 9月 12th, 2015 at 7:09 PM

    ひろみつ says:

    初めてメッセージさせていただきます。

    ジョン・レンボーンの訃報は本当に悲しかったです。結果的に遺作になった2011年の「Palermo Snow」があまりに素晴らしく、また来日してくれるかと思っていたので本当にショックです。

    彼の名前を知ったのは、ポール・サイモンのギターを練習していると、ポールが影響を受けたギタリストとして必ずバートヤンシュとジョンの名前が出てきて、「どんな人だろう?」と思ったのがキッカケでした。

    初めて彼のベストアルバム「So Clear」を聞いて、「Lady Goes To Churuch」を聞いてぶっ飛びました。
    彼の曲を弾きたい!と懸命にコピーをし、The Hermitが10年越しで弾けるようになった時は嬉しかったです。My Sweet PotateとThe Hermitは僕がたまにライブで弾くお気に入りの名曲です。

    生前にライブに行けなかったのが本当に残念です。
    日本のギター雑誌で彼の追悼特集が組まれないか、彼を偲んで彼の譜面集が出ないかと待望しています。

    心から冥福を心から祈りたいと思います。
    ここ数年、Palermo Snowを懸命に練習しています。

  6. 9月 16th, 2015 at 5:11 AM

    打田十紀夫 says:

    ひろみつさん、メッセージありがとうございます。
    ジョンは大きな影響力を持った本当に偉大なギタリストでしたね。
    何度か「もう一度日本に来ませんか?」と声をかけたのですが、体力的にきつかったようです。ステファンからも声をかけてもらったこともあったのですが。。。
    でも私が主催した二度の来日では、本当にリラックスして遠征を楽しんでくれたと思っています。その時の彼の笑顔が忘れられません。
    「Palermo Snow」は本当に素敵なアルバムですね。ジョンを偲んで、練習頑張って下さい!

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